styles of untitled
styles of untitled
A woman is asleep on the ground.
Snow in the throat.
Mud on the eyelids.
Oh, do not ask, “What is it ?”
Let us go and make our visit.
In the room the women come and go
Talking of Michelangelo.
There will be time, there will be time
To prepare a face to meet the faces that you meet;
There will be time to murder and create,
And time for all the works and days of hands
That lift and drop a question on your plate;
Time for you and time for me,
And time yet for a hundred indications,
And for a hundred visions and revisions,
Before the taking of a toast and tea.
In the room the women come and go
Talking of Michelangelo.
“To be, or not to be.
That is the question”
April is the cruellest month, breeding
Lilacs out of the dead land, mixing
Memory and desire, stirring
Dull roots with spring rain.
‘What is that noise now? What is the wind doing?’
Nothing again nothing.
‘Do
‘You know nothing? Do you see nothing? Do you remember Nothing?’
Please stop it.
In case
Please ask me
Do it in other ways
We shall not cease from exploration
And the end of all our exploring
Will be to arrive where we started
And know the place for the first time.
Time present and time past
Are both perhaps present in time future,
And time future contained in time past.
≒
What we call the beginning is often the end
And to make an end is to make a beginning.
‘Do
‘You know nothing? Do you see nothing?
Do you remember Nothing?’
Please do not stop
In case
Please do not ask me
Please never do it in other ways
But heard, half-heard, in the stillness
Between two waves of the sea
Here, now, always—
A condition of complete simplicity
(Costing not less than everything).
To
Stand stock still
Between realite and myself.
Greek Lessons by Han Kang
Hamlet by William Shakespeare
The Love Song of J.Alfred Prufrook
The Waste Land
Four Quartets by T.S Eliot
Tyuya Nakahara by Hidekazu Yoshida
Remix by Hidehisa Tachibana
スタイル オブ アンタイトル
一人の女が地面に寝ている。
のどに雪。
まぶたに泥。
「ねえ、それ、なに?」なんて聞かないでほしい。
さあ一緒に尋ねてみようじゃないか。
(部屋の中では女たちが行ったり来たりしながら
ミケランジェロの話してる)
時間ならまだあるだろ まだあるだろ
君が会ういろんな顔に合わせて 顔を繕うための時間が。
殺害し創造する時間があるだろう
君の、皿の上で問いをつまみ上げたり落としたりする手の
全ての仕事と日々のための時間が
さらに100の不決断のための時間が
それから100の幻想と、思い直す幻想のための時間が
あるだろう
トーストとお茶の時間の前に。
(部屋の中では女たちが行ったり来たりしながら
ミケランジェロの話してる)
生きるべきか死ぬべきか
それが問題なのだ
四月、いちばん残酷な月。
死んだ大地からライラックを育てて
記憶と欲望を混ぜ合わせ
春の雨で鈍い根っこを奮い立たせる。
「ねえ、今の、なんの音? 風はなにしてるの?」
なにも。今度もなにもしてないよ
「あなたはなにも知らないの? なにも見えてないの?
なにも憶えてないの?」
やめて下さい
私に求めて下さい
他の方法でやって下さい
僕らは探求をやめない
全ての探求の終わりは
つまるところ出発した場所にたどり着き
その場所を初めて知ることになるだろう
現在の時間と過去の時間も
多分 未来の時間に在って、
未来の時間は過去の時間に含まれてる
ニアイコール
僕らの言うところの始まりは、しばしば終わりであり
終わることは始めることだ。
「あなたはなにも知らないの? なにも見えてないの?
なにも憶えてないの?」
やめないで下さい
私に求めないで下さい
決して他の方法でやらないで下さい
でも聞こえてる、半ば聞こえているのだ
海の二つの波の間の静止の中で。
ここなんだ、今なんだ、いつもなんだ
完全なる単純さのコンデション
(一切を犠牲にして)。
動いてはいけない。(あせってはいけない)
レアリテと僕との間で。
『ギリシャ語の時間』ハン ガン
『ハムレット』W.シェークスピア
『J.アルフレッド.プルーフロックの恋歌』
『荒地』『四つの四重奏』T.S エリオット
『中原中也のこと』吉田秀和
リミックス 立花英久
動いてはいけない
ー レアリテと僕との間で ⑮ ー
2018年2月10日 [土] – 3月4日 [日] カフェドグラス921ギャラリー
tonka
たとえばトンカは
「彼女は無限な微笑を浮べて、じっと立っていた。それは緑の植物と、赤い絨毯と、壁には青い星のある室で起った。だが、長い長い時間の後、彼が眼をあげると、絨毯は緑に、植物は大きな、ルビーの様に紅い葉に変り、壁は黄色い微光を発し、人の柔肌の様だった。そして、トンカは透き通るように青く、月光のように、彼女の場所に立っていた。」(ロベルト・ムージル『トンカ』より)
「それは可能なことではあるが、実際には起こったことがない」とは言え、こう書けばたしかに可能性は残されつづけていく。そのおよそ1%の可能性に翻弄される青年とトンカという女性のおとぎ話である。ムージルの『三人の女』の一つ、「トンカ」は僕の好きな短編小説だ。塑像をこしらえるとき、モデルを立てて手を動かすことはないけれど、たとえば J・D・サリンジャーの「フラニー」とか、ハン・ガンの『ギリシャ語の時間』のなかの女とか、触れてきた文章のなかの女性像が、あるとき僕の手を動かしてくれることがあったりする。
「いる」と「ある」の間で、僕はいつも揺れている。
world end
ヒコーキ
飛行機を想像してみた。すると、またたく間にたくさんのヒコーキが、わたしの頭上に出現した。彼らはすでに着陸態勢に入ろうとしていた。上空を旋回しながら列を作りはじめ、森をなぎ倒してまでも、彼らは強行するつもりなのだ。そう思うと、ほんとうにそうなってしまった。たくさんのヒコーキが、次から次へと着陸する。森は音もなくあっという間に開けて、サバンナみたいに草地を作ったのだ。
わたしの目の前には、いろんな種類のヒコーキが並んで止まっていた。一機から(それは銀色にかがやいたエアバスだ)、タラップを伝ってひとりの女の子が降りてきた。機体に反射する光りをかき分けるように、その子が力いっぱい手を振っているのが見えた。わたしは眩しくて目がくらむ。わたしに向かって駆け寄って来るのがわかる。「会いたかったあ」と彼女は息を弾ませて、それも収まらぬうちに「セツコちゃん、知らないあいだにオトナになったんだね」と言った。赤いランドセルの脇にクリーム色のリコーダーが突き刺さっている。わたしは彼女のかわいらしい手を握ってあげる。するとカラダが熱くなる。こどもの手はあったかい。わたしはつないだ手を何度も振りながら、突然気がついた。涙がついで出た、「いままでいったいどこいってたのよ!」と声を抑えることもできないまま、顔が紅潮するのがわかった。
その女の子は小学校のときの同級生だった。わたしのほうを見上げたまま、すこしかなしげな顔をして、だけど小さな手は必死にわたしの手を握りしめたままでいる。わたしを見上げる目にも、いつのまにか涙がたまって青白い空が映っている。こどもながらに、こぼれないようこらえているのだ。それを見たら、「みっちゃんのことかんがえてたのよ、そしたら、」そこまで言ってわたしは声をつまらせた。それでも、「びっくりしたよ、ほんとに会えるだなんて」ひくひくして、わたしのほうがこどもみたいだ。わたしはうろたえていた。すると彼女は、まるでわたしの動揺が伝わったみたいに、だいじょうぶ、だいじょうぶ、とわたしを慰めるようにつないだ手を揺らした。みっちゃんとはなかよしだった。みっちゃんとはなかよしだった。みっちゃんとはなかよしだったのに、すぐには気づかなかったよ、みっちゃん。
みっちゃんはいつのまにか、もっと大きなヒコーキに乗り換えて、あっという間に、森の中のカッソーロから飛び立っていった。「オトナってどう?」そう聞かれて、わたしは答えることができなかったな。ほかのヒコーキも追随するように、彼らのすべては点々になって空の中に見えなくなってしまった。
わたしは気がついたら、風の止んだ、そびえ立つ森に立っていた。空はウソみたいに澄みわたっていた。遠くのほうで飛行機が光った。
それが、わたしがここに来てサイショのできごとだ。
立花英々『サイハテ』より抜粋 (六耀社刊『球体1』所収)
サイハテ
ー レアリテと僕との間で ③ ー
2010年6月5日 [土] – 6月13日 [日] サボア ヴィーブル
hiroshima
広島の人
ワタシのフルサト、チチとハハが生まれ育って生きてきた広島。その広島のマンナカ、アイオイの側で、ワタシはワタシの作ったモノを置いてみることがユメだった。ムカシ、アイオイのムコウ側とコッチ側から歩いてきたオトコとオンナが、ハシのマンナカでめぐりあうオハナシを舞台にしたことがある。二人はそれから、そのハシのさらにマンナカからのびてゆく新たなハシを渡っていくのだった。ワタシは若かったチチとハハをその二人に重ねあわせながら、二人のミライを語りたかった。久しく帰っていなかった広島で、ワタシはそのことをもう一度ワタシに問いかけ、この先もモノを作ってゆくワタシがそこに在ることを、ワタシは確かめてみたいのだ。
立花英久
2011年8月
1962年、広島市に生まれる。
東京在住。
アイオイ
ー レアリテと僕との間で ⑥ ー
2011年8月26日 [金] – 9月4日 [日] アンカレット
wait
待って何がいけない
「私は面影でこしらえている」
「自分の頭のなかで考え出した登場人物はなく、実際に出会ってきた友人たちが
複製されるだけなのだ」
「記憶と出会い直している。私は私を生まれ直している」
表現は再現か。是等先人の言葉たちに揉まれながら、わたしはこしらえる。
男「何をするかは重要じゃない。生活者であることを忘れないことだ。出会った
ひとやものの言葉のなかにヒントを見つければいい」
女「一体何のヒント?」
男「それはわからない。でもそれは大切な何かだ」
こしらえることは、何かを待っている。一体何をだろう。
その何かに出会いたいからこしらえる。
わたしのゴドーを待っている。
ヒトガタは何を待ちつづける。ただ立っている。
立花英久の塑像
2019年12月14日 [土] – 12月23日 [月] サボア ヴィーブル
stand stock still
動いてはいけない
「中原中也のこと」(吉田秀和『ソロモンの歌』所収)の中に「動いてはいけない。あせってはいけない。」という箇所を見つけたときのことを思い出して、その本を家中探し回ったけれど見つからなくて、古本屋を巡ってやっと文庫本を見つけ、そのページを繰ってそれが書いてあることを確認してから迷わず買って、家に帰った。「動いてはいけない」わりに動き回ったのだけど、初めてそれを読んだときのいわゆる「感じ」をいちばん確かめたかったはずなのに、それが思い出せない。読めば内容の意味は入ってくる、なのにあのときの「感じ」が言葉として手もとに戻ってこない。動いてはいけない。だけど少なくともそういう「感じ」がずうっと手を動かしている。
立花英久の塑像
2019年12月14日 [土] – 12月23日 [月] サボア ヴィーブル
aria di giovannini, klee, ozu
ジョヴァンニーニのアリア、クレー、オズ
so fang es heimlich an
『東京物語』をたまに見ると、やっぱり最初のほうに出てくる煙突の絵が気にかかる。映画のなかで初めて「東京」を映す画が煙突なのである。六本の煙突がただすっと立っているだけ。ある人はその当時の成長する東京の映し絵だというし、その眼下には市井の人々がそれでも生きている隠喩だという人もいる。だけどそんなふうに僕には見えない。あまりにか弱く、ただ立ち尽くしている、人そのものである。同じ方向を向いて、でも何を見ているのかわからない。
僕は今も土くれとか木とか、棒きれのようなものを、ヒトガタにこしらえ直している。彼女たちがどこを見ているのかわからないし、何を見ていいかわからない。このように、それは、秘かにはじまる。
立花英久の塑像
2018年12月15日 [土] – 12月24日 [月] サボア ヴィーブル