たとえばトンカは
「彼女は無限な微笑を浮べて、じっと立っていた。それは緑の植物と、赤い絨毯と、壁には青い星のある室で起った。だが、長い長い時間の後、彼が眼をあげると、絨毯は緑に、植物は大きな、ルビーの様に紅い葉に変り、壁は黄色い微光を発し、人の柔肌の様だった。そして、トンカは透き通るように青く、月光のように、彼女の場所に立っていた。」(ロベルト・ムージル『トンカ』より)
「それは可能なことではあるが、実際には起こったことがない」とは言え、こう書けばたしかに可能性は残されつづけていく。そのおよそ1%の可能性に翻弄される青年とトンカという女性のおとぎ話である。ムージルの『三人の女』の一つ、「トンカ」は僕の好きな短編小説だ。塑像をこしらえるとき、モデルを立てて手を動かすことはないけれど、たとえば J・D・サリンジャーの「フラニー」とか、ハン・ガンの『ギリシャ語の時間』のなかの女とか、触れてきた文章のなかの女性像が、あるとき僕の手を動かしてくれることがあったりする。
「いる」と「ある」の間で、僕はいつも揺れている。